生きづらい
生きづらい。
ずっと生きづらさを抱えて生きてきたように思う。
中高大学と、友達がいなかったわけではないが、学校で会うだけ。
卒業したらそこで終了の関係。
どうやら私は友達というものを必要としないみたい。
海外生活を1年間した。
人と仲良くなれないことにコンプレックスを抱いていた私は、
1年間、家族のもとを離れること、海外生活をすること、同世代と寮生活をし、ほぼずっと人と一緒にいることで、さすがに人と仲良くなれるだろうと思っていた。
海外生活にはもちろん憧れがあったわけだが、
海外生活をすることのほかに、人と仲良くなりたい、仲間をつくりたいという想いを持って海外で寮生活をすることに決めた。
しかし、実際寮生活をしてみて最初に思ったことは、
「一人になりたい」ということだった。
慣れない生活で知り合ったばかりの人と四六時中一緒に生活することは、
私にとってはストレスで、早くひとりになって泣きたい(なぜ涙が出たのかはよくわからなかった)、と思うばかりだった。
休みの日、他の人たちは、同期を誘い、遊びや食事にでかけた。
どこかに行きたいという気持ちは私にもあったが、誰かと一緒に行くことは苦痛で、一人で気ままにでかけたい、と思うばかりだった。
しかし、同時期に寮に入った人たちはそれぞれで誘い合って遊びに出かけ、寮でも部屋に集まったりして楽しく過ごしている姿を見てしまうと、羨ましい気持ちは持った。
しかし、その輪に入ってみても、居心地が悪く楽しく過ごすことができない。
楽しく人と過ごすことができることが心の底から羨ましかった。
①人と楽しく同じ時間を過ごすことができない。
②一人になりたいと思ってしまう。
人と一緒にいるのが楽しいというのは、どういうことなんだろうか。
思えば、
「家族だんらんができなかった。家族だんらんするぞ。」
と毎晩のように日記に書いていた小学5年生だった。
家族と会話ができなかったのだろうか。
一日の出来事を1時間近くかけて日記に事細かく書くようになったのはこの頃だった。
習い事も多く、あまり友達とも遊ばず、学校での出来事、人に言われたことを細かく日記に書き、チャレンジ5年生をためずにやるようにしていた。
この頃から私は人と心を通わせ会話をするようなコミュニケーションをすることができなくなってしまったのかもしれない。
日記を書きはじめる以前は、人並みに自分のことを話したり会話をすることができていたのかはよく覚えていないが、
小学5年生の私は、人に話すべきようなことを、人に話す代わりに日記に書き記すようになったのではないかと思う。
日記を書くという習慣はその後10年以上続き、つい最近までずっと書いていたのだが、ここ数カ月、毎日何もしていなすぎて書いていない。。。
脱線…
ずっと憧れていた海外生活を経験し、帰国した今、
つぎにやりたいこともないし、することもないし、趣味もないし、
今後の人生長すぎて、
友達を必要とできない私にはこの先の人生が長すぎて気が狂いそうだ。
(会いたい人がいたり、誘ってくれる人がいれば、特別やりたいことがなくても
人生に絶望することはないんじゃないかな、と勝手に思っているんだろうなあ。)
とにかく悶々とした生きづらさについて言語化してみたくてここに書いてみた次第。